Profile

設計者プロフィール

OBELIS 設計者 大場航期

東京都杉並区出身。東京都立西高等学校卒業。早稲田大学教育学部教育学科教育心理学専修卒業。

1994年 松下電器産業株式会社⼊社。

システム営業本部 官公需統括部 NTT移動体営業部営業三課、NTT移動通信網株式会社(以下ドコモ) 専任、携帯電話開発納⼊営業担当として配属。

配属直後、レンタルから購入可能となったアナログ式携帯電話 P804を担当。

以降デジタル式携帯電話(第2世代)が主流(1年⼊社が早い先輩社員が担当)となり、アナログ式はフェードアウト、巻取りへ。

担当は、主にドコモサービス開発部との実験的なプロダクト開発納⼊にシフト。

ハーフレート⽅式(第2世代の通信速度は9.6Mbps 電波の効率利⽤に向けて半分の4.8Mbpsで同等の品質を担保する技術)を活⽤して、「⾳声・データ同時通信ユニット」を松下通信⼯業と共に開発納⼊推進。

主な⽤途は救急⾞への搭載。病院との会話と⼼電図データをリアルタイムで送受信するもの。

同様に「携帯FAX」を松下伝送と、「デジタルモデム通信カード」を松下電⼦応⽤機器と共に開発納⼊推進。

当時のドコモ⼤星社⻑肝⼊りプロジェクトとしてPDA(パーソナルデジタルアシスタント:携帯情報端末)+PDC(携帯電話通信)端末「ピーターパン」開発が発⾜。同端末の主担当としてより踏み込んだ開発提案・進捗管理を担当。

ボーダフォンの写メ機能がヒットしたことや、ディスプレイ⼤型化のトレンドから、ドコモゲートウェイビジネス部(iモード開発部に改称)が携帯電話上でインターネットサービスを利⽤できるiモード開発をスタート。

初のブラウザ搭載携帯電話P501iを担当。当時のスペック制限によりドコモオリジナルのコンパクトHTMLを採⽤、初代iモード端末は横7⽂字縦8⽂字わずか56⽂字モノクロ表⽰という簡易仕様でリリース。その後ディスプレイの解像度向上、カラー化に伴い、iモードサービスは本格的に普及し始める。

当時の松下電器中村社⻑がスマイルカーブ構想(ハードウエアとソフトウエア双⽅で収益を上げる構造)を打ち出したことにより、官公需営業本部(システム営業本部官公需統括部より格上げ)から情報通信営業本部に格上げ、サービス開発専任体制が敷かれ、そのメンバーとなる。

組織としての⾃由度を⾼め、意思決定の迅速化を図ることを⽬的として、パナソニックモバイルコミュニケーションズ(旧松下通信⼯業)の⼦会社、パナソニックテレコムに出向、設⽴された開発事業部のメンバーとなる。

趣味の⾷べ歩きと、国⺠⾷として需要の⾼いラーメンに着⽬。消費者向けラーメン情報提供サービスの開発に着⼿。

⾷べ歩きの参考に利⽤していたテレビ東京元ラーメン王決定戦準優勝者のコンテンツ資産利⽤と継続提供契約を締結。サービス名称を「イチ押し!ラーメン特捜隊」とし、コンテンツホルダーが隊⻑、利⽤者が隊員として⾃分のお気に⼊りや開拓したラーメン店及びラーメンの評価を⾃由にアップロードにすることで、コンテンツの⾃然発⽣的な増加を促すと共に、マイページの⽇記機能で⾷べたラーメンなどのシェアを⾏うインタラクティブ(双方向)プラットフォーム。

プッシュ通知による⽇記のリアルタイム閲覧、ユーザーランキング(⽇記閲覧数)などを搭載。毎⽉の特典として、ゴールド/シルバー/ブロンズのオリジナルテレカプレゼントや、オリジナル着メロ「チャルメラ」を「チャルメラップ」「チャルメタル」など様々なバリエーションにミックスしたものを提供。

その後も機能を追加し、より実⽤的なプラットフォームに進化。iモードには類似サイトがあり公式サイトにはならなかったが、ケータイサイトオブザイヤー2004にて「グルメ部⾨第2位」を受賞。

ビジネスモデルは広告バナーを押させることによるアフィリエイト広告収⼊。利⽤者属性の90%が男性ということで、広告媒体としての価値が⾼いとは⾔えず、事業収益を伴うまでには⾄らなかった。

⼥流川柳作家やすみりえさん監修の「恋の川柳サロン」(投稿型インタラクティブコミュニティ)などのサービス開発を⼿がける。

PHP研究所からの依頼で共同開発プロジェクトをスタート。PHP研究所の書籍コンテンツを活⽤し、全⽅位で⼈間としての魅⼒や成⻑を促す「幸之助de⼈間⼒UP塾」をリリース。人間力の段位が上がると、松下幸之助創業者の様々な待受画面などて今日するなど様々な利用者インセンティブを企画。iモード公式及び松下電器公式コンテンツして承認。⽬⽟コンテンツの⼀つとして、創業者の⼀番弟⼦である当時PHP研究所江⼝社⻑による、創業者ならこう答えるであろうインタビュー動画コンテンツを導入、定期的にビデオ収録の協⼒をいただく。

「イチ押し!ラーメン特捜隊」開発協⼒を受けた社内シンクタンク部⾨、システム創造研究所からオファーがあり、同所に異動。コンテンツ部にて社内各部署のコンテンツ開発の⽴案サポートやディレクションを⾏う。

科学技術立国日本の再興の必要性を痛感した中村社長より、技術者を志す若年層への気づきを与えることを目指した社長直轄プロジェクト、「理科と数学の魅⼒を体感展示で知ってもらうためのミュージアム=「RisuPia」の設立に向け、展⽰連動Webコンテンツ企画・ディレクションを⾏う。同プロジェクトにて団体社⻑賞を授与。

所内異動先の社会システム部では、パナソニックセンター東京/⼤阪の定期的リニューアルにおける新規展⽰のコンセプトメイク・企画⽴案・ディレクションを⾏う。パナソニックセンター⼤阪において、環境問題の理解と推奨されるアクションをリアル・バーチャル融合により訴求した展⽰コーナー「エコアクションステージ」では全⾯的な企画・ディレクションを⾏い、他部⾨起案の団体社⻑賞を授与。

本展⽰が契機となり、パナソニックマレーシア社⻑の依頼により、マレーシア版エコアクションステージ簡易版(可搬タイプ)の企画、ディレクションを⾏う。同展⽰がアジア太平洋部⾨の⽬に留まり、エコキャラバンとしてシンガポール、フィリピン、インドネシアを巡回するプロジェクトの依頼を受ける。

同プロジェクトの成功を受け、パナソニックマレーシア社⻑より、絵本作家真珠まりこさんの「もったいないばあさん」を活⽤し、マレーシアに「Mottainai」の概念を浸透させる展⽰の企画依頼を受ける。企画ディレクションを⾏ったリアルバーチャル体験展⽰は、⼿がけた中で最もスケールしたものであった。

ベトナムからパナソニックセンターを視察に訪れた当時のニャン副首相が「RisuPia」に感銘を受け、ぜひベトナムに設立してほしいとの要望から、急遽社長直轄「ベトナムリスーピア」プロジェクトが発足、メンバーとなる。過去の知見や独自のアイディアを活かし、体感展示そのものの企画・ディレクションを行い、無事ハノイにて設立にこぎつける。

その後も社内他部⾨のプロジェクト⽀援、特に先端技術の⽤途開発提案や10年後の技術ロードマップ策定などを⼿がける。

藤沢市の旧松下伝送⼯場跡地にできたスマートシティ(FSST)に、他地域から流⼊した住⺠同⼠がオンライン・オフライン双⽅で繋がるコミュニティの実証実験に参画することになり、⾃然と地元の様々な⽅との関係性を築いていった。この経験が後の独⽴のベースとなる。

2019年9⽉末、久々に実家に帰り両親と会話をする中で、何気なく⺟がつぶやいた「もう歳とるとね、あれもこれもできなくなって、庭のお⼿⼊れも、(杉並)区に紹介してもらった⼈に1時間1200円でやってもらってるの」という⾔葉にひらめくものがあり、超少⼦⾼齢社会の⽇本に必要なのは、ご近所づきあい、助け合いの仕組みを整えることであると察する。

それから9⽇間で既存の仕組みやアイディアを組み合わせてサービスパッケージ化することができたため、天職と捉え、10⽉23⽇に合同会社iki-ikiを設⽴する。

副業は禁⽌のため妻を代表社員に据え、無報酬で⼿伝うという形を取って、週末のみサービスイン向けた⼟台作りを⾏う。舞台は慣れ親しんでおり、⼈⼝約43万⼈、都会と⽥舎が同居し、交通の便不便の差も著しい特性から、マーケティングの雛形としても最適な藤沢市に設定。

「⾼齢者のサポートを地元の主婦やアクティブシニア、学生等が行うマッチングプラットフォームサービス(以下iki-ikiサービス)として⽴ち上げるには地元住民の協力が欠かせないため、様々な⽅の紹介をいただきサポートを打診する(1時間1200円の有償ボランティアの上位互換)も、コンセプトが先⾏し、類似サービスがなかったこともあって、⼈集めに苦労する。

2020年2⽉、⽬標としていた30⼈のサポーター(ソーシャルメイトと命名)が集まったタイミングで、日本初の社会課題解決型マッチングプラットフォームサービスiki-ikiとしてスタート(2020年2月当社調べ)。その直後にコロナ騒ぎが勃発してまともに機能せずも、徐々にサービスを広げていく。同時に1市区1事業者独占で助け合いサービスの運営権利を付与するフランチャイズ展開を図り、最⼤60市区まで拡⼤。加盟⾦ゼロ、⽉3万円でノウハウパッケージ提供を⾏ったため、⼀⼈社⻑など本業で⼿いっぱいな⽅が多く、サービスの実態が伴わない事態に直⾯する。

2023年、iki-ikiサービスを「助け合いの第5の社会インフラ」として日本に根付かせたいという想いから「iki-ikiインフラシステム株式会社」に改称、組織変更を行う。その後紆余曲折を経て、加盟する直接的なメリットを医療機関に提供するだけでなく、医療機関の中での告知で顧客とサポーター両⽅を賄うスキームを確⽴。

2026年8月、日本を支える99.7%の中小企業・個人事業主の下支えになることで、国力の再興に寄与したいとの想いから、OBELISを形にする。